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西原の塔
種類 | 未指定文化財 |
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所在 | 西原町字翁長 |
建立日 | 1955(昭和30)年7月 1967(昭和42)年6月改修 |
合祀者数 | 7,000余柱 |
西原村(現・西原町)は沖縄戦当時、日本軍の飛行場があったうえ、司令部が置かれた首里攻防をかけた激戦の地であったため、住民の約47パーセントが死亡するなど多くの被害を出した。
この塔は、旧西原村役場敷地内に2万5,000B円(米軍占領下で流通した貨幣)を投じて建立され、戦争で亡くなった村民、村内で戦死した軍人、軍属ら7,000柱余りが合祀された。
西原の塔は、日露戦争、第一次世界大戦、支那事変などの戦争で亡くなられた戦没者を祀るために1941(昭和16)年ごろ、当初は「忠魂碑」と称して建立された。その忠魂碑は、去る沖縄戦で破壊された。
沖縄戦で最も激戦地の一つとなった本町では、住民の約47パーセントが戦禍で散ったが、生き残った西原村民が協力して村内各地の野や山で風雨にさらされていた兵士や住民の遺骨を収集し、現在地に納骨した。
1955(昭和30)年、沖縄協会の援助と村民の奉仕作業及び寄付金活動によって忠魂碑の全面改修を行い、「西原村慰霊塔」と称した。その時、合祀された戦没者は1,700余柱であった。
さらに1968(昭和43)年5月、再び改修を加えて「西原の塔」と改称した。合祀柱数は2,000余柱となった。
その後、沖縄戦において西原村内で戦没した県外出身者、村外の本県出身者の確認も進み、併せて村内出身の軍人、軍属、一般戦闘協力者、村出身の外地戦没者も含む合祀柱数は、1976(昭和51)年以降、現在に到るまで7,068柱である。
1985(昭和60)年には「西原町非核反戦平和都市」を宣言し、より積極的な各種平和事業を推進している。
1992(平成4)年、本土復帰20周年記念事業として、沖縄戦の教訓を後世に伝えるとともに、反戦平和、恒久平和を全世界に訴えつづけるために「平和のモニュメント」を建立した。
なお、6月の平和月間において、この西原の塔において恒久平和と戦没者の冥福を祈り、戦没者追悼式がおこなわれている。
西原町地元住民戦没者刻銘碑
建立日 | 2003(平成15)年10月 |
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建立者 | 西原町 |
刻銘者数 | 5,278柱(2017{H29}年現在) |
平和のモニュメント
建立日 | 1992(平成4)年 |
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建立者 | 西原町(復帰20周年記念事業) |
歩兵第八十九連隊山三四七六部隊・顕彰碑
部隊名 | 第24師団(山部隊) 歩兵第89連隊 山3476 |
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建立日 | 1981(昭和56)年3月21日 |
建立者 | 八九会 |
碑文
歩兵第89連隊は昭和14年満州に創設され爾来兵員補充地を北海道とし 第5隷下第24師団に所属 軍旗の下に団結東部ソ満国境守備の重責を全うす とき移り日本が国運を賭して戦った大東亜戦争末期 戦局の逼迫に伴ひ 精鋭第3大隊の中部太平洋派遣をはじめ、多くの戦友を各地戦域に送る しかれども戦局の推移好転せず
昭和19年7月連隊主力も沖縄防衛の重任を担うかくして日本が総力をあげた戦は 善戦苦闘の甲斐むなしく連隊将兵の多くはふる里を遠く離れた異境の地に屍を埋め 悠久大義の下祖国に殉ず沖縄守備に任じた連隊主力は昭和20年3月より連合軍侵攻を遊撃 80余白の永きに亘り凄絶な死闘を重ね連隊長金山大佐以下2千6百余名が玉砕終焉を迎へた 特に此の西原一帯は沖縄戦最大の激戦となった5月4日の第32軍総攻撃に連隊は総力をあげて勇戦敢闘数昼夜に亘りたるも 遂に矢弾つき将兵の多くはこの戦闘に斃るまた此の戦闘に協力せる多くの現地村民も祖国の為に運命を共にせり
これら国難に殉じた尊い犠牲が 日本の平和と子孫の安寧を築く礎石となった崇高な歴史を永く後世に伝へ顕彰する為 西原町の協力を得て戦友と遺族の集いである八九会が此の稗を建てる
歩兵第八十九連隊丸地大隊戦没者・慰霊碑
部隊名 | 第24師団(山部隊) 歩兵第89連隊 山3476 |
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建立日 | 1965(昭和40)年3月 |
建立者 | 丸地りせ |
慰霊顕彰碑
部隊名 | 第62師団(石部隊)歩兵第63旅団 独立歩兵第11大隊 石3592 |
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建立日 | 1995(平成7)年10月吉日 |
建立者 | うるま会 |
観世音の像(石独立歩兵第十一大隊)
部隊名 | 第62師団(石部隊)歩兵第63旅団 独立歩兵第11大隊 石3592 |
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建立日 | 1976(昭和51)年10月 |
建立者 | 昔陽会 |
魂魄 独立二十八大隊(海上挺身隊)慰霊碑
部隊名 | 海上挺進基地 第28大隊 暁(球)6477 |
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建立日 | 1995(平成7)年4月吉日 |
建立者 |
郷田誠一 |
※碑の名称は(海上挺身隊)であるが、正式な部隊名は(海上挺進基地第28大隊)となっている。
西原町戦没者刻銘平和祈願碑
建立日 | 1993(平成5)年10月吉日 |
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建立者 | 西原町遺族会 |
外地戦没者之碑
建立日 | 1968(昭和43)年6月7日 |
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建立者 | 沖縄県外地引揚者協会西原村支部 |
うるま島の榮祈る
建立日 | 1957(昭和32)年2月20日 |
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建立者 | 在ペルー西原村人会一同 代表者 泉川仁王 |
西原の塔入口にあるフクギは、沖縄戦の被害にあいながらも、現在まで生育し続ける。
被爆アオギリ2 世は、広島に投下された原爆の熱線と爆風により焼け焦げたアオギリの幹から再び芽吹いた苗を2003(平成15) 年10 月に植樹したものである。