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棚原比嘉家の土帝君
種類 | 未指定文化財 |
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所在 | 西原町字棚原 |
土帝君(トゥーティークー)は、古代中国の土地神のひとつで、その起源は古く3世紀前半まで遡るようである。沖縄への導入は、1698年、大嶺親方 鄭弘良が中国から神像を持ち帰り、自らの支配地である小禄間切大嶺村に祀らせたのが始まりだとされるが、程順則(1663~1734年)の『指南広義』の記述から、土帝君信仰はそれ以前から知られていた可能性がある。かつては、翁長にあった西原間切番所内にも土帝君が祀られていた。
棚原比嘉家の土帝君は、棚原ノロ殿内下側にある比嘉家敷地内にあり、比嘉家の当主が200年ほど前に首里の西森(現・儀保付近)からフトゥキ(仏=土帝君)を持ち帰ったのが始まりとされる。祠は、内法で間口50.5センチ、奥行き54センチ、高さ50センチの石灰岩の3枚の切石で寄棟形に加工した屋根石を支えている。
五穀豊穣と子孫繁栄の神とされる土帝君は、かつては旧暦2月2日のクスッキーと5月4日のグングヮチャーに祭祀がおこなわれていたが、今では旧暦2月の行事のみとなっている。