町の位置 | 北緯26°13′19″ 東経127°46′3″ |
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町の面積 | 15.90平方キロメートル |
町木 | ガジマル |
町花 | ブーゲンビリア |
町花木 | サワフジ(さがりばな) |
毎月末時点での行政区別・大字別・年齢別男女別人口を公表しています。
わたしたちは、西原町民としての自覚と誇りをもち、「人間性豊かな文教のまち」をめざし、恵まれた地理的条件を生かし、明るく住みよい平和なまちをつくるため、この憲章を定めます。
一、わたしたちは、緑を豊かにし、美しいまちをつくりましょう。
一、わたしたちは、つねに学び、文化の高いまちをつくりましょう。
一、わたしたちは、だれにも親切にし、お互いに助け合いましょう。
一、わたしたちは、勤労感謝の心を養い、物を大切にしましょう。
一、わたしたちは、スポーツに親しみ、健康の増進につとめましょう。
一、わたしたちは、時間を守り、すすんであいさつをしましょう。
西原町は恒久平和を願い、非核反戦平和都市宣言をかかげています。
毎年慰霊の日に開催される平和音楽祭の冒頭で、子どもたちによる平和宣言が朗読されます。
西原町は、「バレーボールのまち西原」宣言をかかげています。
1968年7月3日規程第1号により制定
町名の頭文字の「西」を図案化し、円は町民の融和団結を、翼は町勢の雄飛発展の姿を表現、輝く西原町の将来を簡明に力強く象徴したもの
西原の名称は、首里の北(方言でニシ)にある地方ということに由来します。
間切時代、西原は首里王府の直轄領、領域も津堅島、泊、天久、末吉、石嶺にまで及んでいました。その後、明治41年、特別町村制の施行より西原村となり、大正9年にはほぼ現在の領域になりました。昭和20年の沖縄戦では住民の約半数が犠牲となりましたが、その後復興・発展を遂げ、昭和54年に西原町に移行しました。
行政区は、幾多の返還を経て昭和7年に24ヵ字になり、戦後は、6区制24ヵ字制、16区制、平成3年に30区制、平成7年に31区制、平成8年に32区制となって現在に至っています。
人口は、戦前・戦後を通じて1万人前後で推移しましたが、昭和40年代以降、都市化とともに急増し、平成22年2月末現在、34,616人となりました。
産業は稲作中心からキビ作、亜熱帯果樹栽培、花卉(かき)栽培へと変化し、昭和40年代以降は、各種産業が進出して商工業も盛んになり、今では県内有数の工業集積率、出荷額を誇っています。
また、本町は幼児教育から大学教育までの一貫した教育施設に恵まれています。
このように、西原町は「文教のまち」として日々活況を呈し、発展の一途をたどっています。
西原町歌 | 西原町音頭 | さわふじ音頭 |
坂田小学校校歌 | 西原小学校校歌 | 西原東小学校校歌 |
西原南小学校校歌 | 西原中学校校歌 | 西原東中学校校歌 |
西原高校校歌 |