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旧西原村役場壕

旧西原村役場壕
種類 西原町指定史跡
指定日 2015(平成27)年6月9日
所在 西原町字翁長

昭和16(1941)年の太平洋戦争勃発後、日本軍の戦況が悪化してくると、大本営は沖縄に第32軍(沖縄守備軍)を配備し、昭和19(1944)年8月20日には、西原村(現:西原町)内の各字や西原国民学校などに第62師団歩兵第63旅団歩兵第11大隊1,200名余が駐屯するようになった。

太平洋戦争末期になると、行政や警察の会議を開くための壕が、県内各地に建設された。西原村の役場壕もそうした施設のひとつであり、役場にあった重要な文書や公印などが保管されていた。

西原村役場壕は、昭和19(1944)年6月ごろ、字翁長から人夫数人を雇って掘ったものである。壕には、戸籍簿、土地台帳(名寄帳)、図面、兵籍簿などの書類を収めていたが、その他公金、出納簿、戦時債券、公印などを収納した重さ1トン程の金庫も同時に入れてあった。役場事務は、米軍の本島上陸の昭和20(1945)年4月直前までおこなわれていた。毎朝出勤すると役場壕から書類を持ち出して事務を行い、夕方再び書類を壕内に運んで保管するという日課だった。

戦後、壕内には書類などが残っていたが、1年以上も風雨にさらされていたので密着し、めくることのできないものが多数あった。昭和58(1980)年ごろ、ある士建業者が土を取るために道路に面した部分を抉ってしまい、現在では道路に面して開口しているように見える。

ニービ(第三紀砂岩)を基盤層とする丘陵南側先端部にある壕は、ホール型の横穴で奥行(北西-南東軸)7.5~8メートル、幅(北東-南西軸)4.5~5メートル、高さ1.8~2.5メートルを測る。壕の構造は単純で、ニービ山をくりぬいて造ったホールの中央部に1メートル角の2本の柱が天井部を支える支柱として落盤防止にあてられている。壕の入口は、幅90センチ、高さ1.3メートルほどである。

昭和60(1985)年におこなわれた壕の発掘調査では、人の頭蓋骨破片1点、砲弾の薬きょう1点、ジュラルミン製の水筒や容器数点スンカンマカイ数十点、壷屋焼きの碗数十点、金庫の扉1点などの遺物が出土した。

平和事業を推進する町では、町制施行20周年記念事業として旧西原村役場壕を整備している。

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