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幸地グスク

幸地グスク
種類 未指定文化財
所在 西原町字幸地

幸地グスクは、西原町の西部、幸地集落東南の標高約100メートルの丘陵上にある。この丘陵は南北に長く、本島の東寄りにあるが、この峰が分水嶺で、南方は首里方面へ、北方は中城方面につながる。グスクは、こぶのような高地を中心として東西の低地に向かって伸びる尾根を利用して造られている。

グスク内の頂上付近には現在祠が建っているが、この場所はかつて周辺を観察するための櫓台と考えられる。そこから北東下には、30メートル×30メートルほどの広さを持った曲輪となっている。この曲輪の北寄りには井戸があり、居住地化された場所と思われる。また、西方から北西にかけても、幅が10メートルほどの削平地が数段造られ、この場所も居住地化されていった可能性が高い。

幸地グスクについて『遺老説伝』(18世紀前半)に「幸地グスクの城主は、熱田子と呼ばれ、腕力も強く人々からおそれられていた。熱田子は隣の津記武多按司といさかいを起こし、その一族を滅ぼした。訃報を聞いた今帰仁按司は、自ら仇討ちに出かけたが、熱田子の策謀にはまり、殺された。その後、今帰仁按司の息子4人が兵を挙げ、ついに熱田子を滅ぼした。」と、記されている。

このグスクの注目すべき点は、峰の上を通過する「峰道」がグスク内を通過することにある。一種の関所的機能を持ち、戦時には道路を封鎖する目的で造られたと考えられる。
幸地グスクは、15世紀前半にでき、その後数十年間グスクとして、あるいは関所として、また戦乱期の後には領地内支配の拠点的な機能も複合的に期待された形で存在した可能性がある。

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