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小波津弾痕の残る石塀

小波津弾痕の残る石塀
種類 西原町指定史跡
指定日 2021(令和3)年5月11日
所在 西原町小波津

小波津弾痕の残る石塀は、1935(昭和10)年小波津家の新築に伴い、現在の八重瀬町具志頭港川で切り出された琉球石灰岩を馬車で運び込み建造された。
石塀に使用されている切石は7段積まれているが、下の2段は敷地の盛り土などで埋もれており、現在表出している切石は150個ほどである。

沖縄戦では、小波津家は旧日本軍の宿舎として利用された。南東側石塀の上から3段目に空いている部分は、旧日本軍が機銃を据えるため切石をひとつ外し、銃眼として使用したといわれている。
1945(昭和20)年の4月28~29日には小波津集落内で激しい戦闘がおこなわれた。5月4日の未明には、小波津川沿いで旧日本軍の総攻撃がおこなわれた。約2,000人の兵士が、小波津川北側に突撃するが、米軍の砲撃を受け、そのほとんどが戦死した。

小波津川の家屋は跡形もなく弾丸が撃ち込まれ、石塀だけが残った。戦後、敷地内には遺骨、弾丸の破片、不発弾、米軍のキャンプ跡のガスコンロなどが散乱していた。道路に接する北東側の石塀には、幅約2mの範囲で修繕された部分が確認できる。ここは米軍が出入り口をつくるため、切石が取り外されていたという。また、南東側石塀には米兵が刻んだと思われる文字が残る。
石塀に食い込んだままの弾丸の破片は、やがて到来したスクラップブームで売りつくされたが、弾痕は現在でも石塀に生々しく残っており、沖縄戦の激しさを物語っている。

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