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御茶多理真五郎の墓

御茶多理真五郎の墓
所在 西原町字池田 上原

沖縄ではじめての説話集として1745年に編集された『遺老説伝』に、「西原間切嘉手苅村の御茶多理真五郎、勇力人に過ぎ歌絃及び相撲を好くし、葬後も其の気散らざるのこと」として、ウチャタイマグラーの話が載っている。
昔、嘉手苅村に強力で歌や相撲が好きな五郎という若者がいた。祭りになると各村々を廻り相撲をとったが誰にも負けなかった。沖縄一の相撲とりとの評判であった。五郎は死後、御茶多理墓に葬られた。
しかし、五郎の霊は成仏せず、夜な夜な亡霊がでて相撲の喊声や歌、三線の音が聞こえた。 それから五郎を御茶多理五郎と呼ぶようになった。人々は日が暮れると敢えてその墓地付近を通らなかった。
その後、祭祀の供物が腐敗するようになったので、人々はこれらはマグラーの霊が盗み喰いしたものと思い、御茶多理街道を通って首里へ行く部落では、ムーチーを一日早め(旧12月7日)にやるようになったという。

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