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我謝遺跡

我謝遺跡
種類 未指定文化財
所在 西原町字我謝、字与那城

我謝遺跡は、我謝及び与那城集落の後背、現在の西原ハイツの地に形成されていた、グスク時代の遺跡である。

そこは標高40~50メートル前後の小丘陵上に位置し、通称「クガニムイ(黄金森)」とか「ガージャモー(我謝森)」などと呼ばれ、かつて字我謝の「トゥン(殿)」があった。約37,000平方メートルの広範囲な面積に遺物包含層が点在していたが、1981(昭和56)年から1982(昭和57)年にかけ3次にわたり、大型宅地造成工事に伴う緊急発掘調査が実施された。

出土した遺物はバリエーションに富み、若干の時代差と性格の違いがみられる。時期的には各調査地点別に新旧の差があるが、沖縄グスク時代初期から17世紀ごろの古島の時期まで連続して生活の舞台となったところである。

遺物は、土器を主体に白磁、青磁などの中国産陶磁器やカムィ焼、滑石製石鍋などのグスク時代でも比較的古い時期のものが出土しており、その他貝類、獣魚骨、炭化した米や麦などの自然遺物も出土している。

我謝遺跡の周辺地域は、灰色のジャーガル土壌地帯を形成していたことから、当時の開発の一端を知る遺跡として注目されたが、宅地開発などにより遺跡の大部分が消滅している。

我謝遺跡

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